セルビア

ノバク・ジョコビッチの生い立ち・家族が支えた下積み時代




セルビアが誇る伝説の1人、
世界ランキング1位のテニスプレイヤー、ノバク・ジョコビッチ。

出典・AFP BB NEWS 写真は2019年のウインブルドンの時

 

2020年の全豪オープンでも見事シングルス連覇を達成しました。
おめでとうございます!

2017年には肘のケガなどによりツアーを休んでいた時期もありましたが、
翌年には世界ランキング1位に返り咲いた絶対的強さを持つノバク・ジョコビッチ。

そんな彼も無名な下積み時代がありました。

今回は、セルビア国内で公表されたジョコビッチのいろんな記事から、
彼の生い立ちをまとめてみました。

ノバク・ジョコビッチってどんな人?

 

ノバク・ジョコビッチ (Novak Đjoković)  愛称 ノーレ (Nole)

1987年 5月 22日 ベオグラード生まれ

父親 セルジャン・ジョコビッチ (Srđan Đjoković) セルビア人
母親 ディアナ・ジョコビッチ (Dijana Đjoković)  クロアチア人
弟  マルコ・ジョコビッチ (Marko
Đjoković
弟  ジョルジェ・ジョコビッチ (Jorge 
Đjoković

妻  イェレナ・ジョコビッチ (Jelena Đjoković)
息子  ステファン(Stefan)
娘   タラ(Tara)

 

4才で名コーチと運命的な出会い

若干4才でテニスに興味を持ったジョコビッチ。

当時セルビアで有名なコーチ・イェレナ・ゲンチッチ(Jelena Genčić)と出会います。

彼女はジョコビッチのフォームを見て「彼はのちに世界で戦える選手になる」と
彼の才能を見いだした人。
ここから、11年間彼女の指導を受けることになります。

わずか7才で未来を見ていた!有言実行したジョコビッチ

ジョコビッチ、7才のときにTVの企画に出ていて
そのときのインタビューで「将来の夢はナンバー1になること」と話しています。

セルビア語での会話ですが、

  • フォアハンド・バック・ボレーが好きなこと
  • もし、試合に負けても相手に対して怒ることなくフェアプレーをすること
  • 毎日、学校・トレーニング・宿題を終わらせてからテニスを練習していること
  • テニスをすることは、ジョコビッチにとって任務であり使命であること
  • 将来の夢は、テニスでナンバー1になること

を話してます。

7才のジョコビッチ、可愛いですね!

たくさんのスポーツ選手が、きっと若い時に将来の夢を聞かれてると思うのですが、
ほんとうに有言実行しているジョコビッチはすごい!

立役者・父親セルジャンと母親ディアナのサポート

ジョコビッチがテニスを習いたいと言ったとき、両親は反対しなかったそうです。
ですが、セルビアで「テニスはホワイトスポーツ」という言葉があったほど
敷居の高いスポーツで
当時の一般家庭では到底習えないお金のかかるスポーツでした。

ノバクジョコビッチと家族 出典・Glossy

ジョコビッチの両親はセルビアのリゾート地・コパオニックでピザ屋を営んでいましたが、家庭はお世辞にも裕福とは言えませんでした。

賃貸のアパートに住むごく一般の家庭だったそうです。

セルジャンとディアナがジョコビッチのためにしたこと

父親セルジャンと母親ディアナは、
ジョコビッチの目標のためにできることはなんでもしようと決めました。

当時のセルビアは、紛争中。
多くの国民が職を失い、物価も一気に高騰した時代。

銀行はお金なんて貸してくれません。

父親セルジャンは、家にあるお金は全て息子ジョコビッチのテニスに当てたほかに、
マフアから当時の金額で5000ユーロ借りて
ジョコビッチの練習代・ツアー代・留学代等全てテニスの費用に当てていたそうです。

借金の金利も正当とは言えない破格の金額でした。

インタビューによると、貸し出し金額と同じくらいの金利だったとか。

家庭崩壊になってもおかしくないくらいの借金を背負った父・セルジャン。
息子のためを思ってもなかなか出来ることではありません。

遠征やツアーには、いつも父親セルジャンが一緒についてまわっていたので
ピザ屋は実質、母親のディアナが1人で切り盛りしていたそう。

毎日朝から晩まで16時間以上働き、
お店の儲けは、遠征先のジョコビッチたちにいつも送金していたそうです。

 

ジョコビッチはそんな家族の協力を受け、テニスの練習に励んでいました。

毎日学校から帰って宿題を終わらせた後、
テニスの練習は夜も遅くなってからだったそうです

その練習は、雨が降っても雪が降っても毎日野外で続けられたと言われています。

セルビア人としての誇りを常に持つジョコビッチ


16才のジョコビッチのインタビュー

16才でプロデビューを果たしたジョコビッチ。

2005年の18才の時には、ウインブルドンと全米オープンで3回戦選出を決め
注目の若手テニスプレイヤーとして注目を集める中、
当時、ジョコビッチの才能に目をつけた
ドイツ・ギリシャそしてクロアチアが彼と契約を結びたいと
各国の市民権を贈与したいと申し出ました。

当時、ユーゴスラビアが崩壊した後のセルビア・モンテネグロでは、
国内で有名なスポーツといったらバスケ・バレーボールで
テニスの歴史がありませんでした。
テニスで成功するのは「夢物語」とジョコビッチに期待する人は多くはなかった。
戦後の財政もまだまだ整っておらず、
政府からの援助も大きなものではありませんでした。

テニスで成功したいジョコビッチにとってはまたと無いチャンスです。
ですが、ジョコビッチはこの申し出を断ります。

当時、NATO紛争によって世界中に「セルビア人は残虐な人種」
というネガティブな
イメージが広まっていたセルビア。
ジョコビッチは自国・セルビアのイメージを払拭したい、
世界中の人に本当のセルビア人の姿を見て欲しい。
そのためにも「セルビア代表の選手としてテニスで成功したい」という思いがあったそうです。

2011年・ロンドンでのスピーチにて

2011年の全豪オープン・ウインブルドン・全米オープンの3大会で、
優勝する偉業を成しとげ、
歴代6人目の同じ年の世界四大大会で3優勝となり世界ランキング1位を獲得。

もう、すごい!としか言えないです。

その年にイギリス・ロンドンでのスピーチでジョコビッチが言った言葉。

– Ovo ništa ne bi bilo moguće da nije bilo mog tima i moje porodice koja je jedina uvek verovala u mene –

私を常に信じてくれているチームと家族がいなければ、不可能でした。

これまで、支えてきてくれた家族に対しての感謝の言葉でした。




まとめ

ノバク・ジョコビッチは、けして裕福な家庭に生まれたわけではありません。

紛争という過酷な厳しい時代を過ごしました。
そんな環境でも夢を諦めずにいた。
家族もジョコビッチの夢を信じてサポートしていた。

そんな時代背景から、彼の屈強なメンタリティが生まれているのではないのかと思います。
これからもセルビアのテニスプレイヤーとしての活躍を応援しています。

あみん


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